花園会

第九十五代の花園法皇さまは、ご退位の後、位を後醍醐天皇に譲られ、ご 自分は仏門に入って、禅のご修行に励まれ、遂に大悟されました。
当時の乱世を憂えられて、これを救うには仏教の教え、しかも禅の教えに よらねばならぬとご決意されました。花園の離宮を禅寺とし、無相大師さま をご開山として迎えられ、妙心寺が創建されたのであります。
後に御病気となられた花園法皇さまは、妙心寺の後事を開山無相大師さま に托されました。そのお手紙を御宸翰といいます。その中に、花園法皇さま の御心が示されております。

その中でも特に中心となる精神が「そのありがたい恩徳に報謝し、仏法を 興隆したいとの志は寝ても覚めても忘れたことはない」という御心でありま す。この熱烈なる救世の御精神が、妙心寺の教えの源泉であります。

花園法皇さまのお徳は、私たち檀信徒の師表でもあります。そうしたとこ ろから檀信徒の会にこの「花園」の名をいただいたのであります。
また、花園法皇さまが自ら得られたお悦びを人々にも味わっていただきたい との念願をうけつぎ、同信同行の自覚に立って、力をあわせて教団を護持 してゆこうというのが「花園会」の趣旨であります。
更にことばをかえていえば、会員一人ひとりが心の花を咲かせ(仏心に目 ざめ)、家庭、社会を住みよい「心の花園」にしようという意味をも含んで いるのであります。

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