信心のことば
わが身をこのまま空なりと観じて静かに坐りましょう。
「空」は、〈空しい・無い〉だけの意味ではありません。私たちの身は、病んだり、老いたりして刻々に移り変っていくものであります。そして、やがて死ぬべき自分が、いま・ここにこうして生きているのもまた事実であります。生きていることの不思議を実感することが、豊かな人間性を育ててゆく上に何よりも大切なことであります。
また、いまここに生きていることができるのは、さきに「生活信条」で学んだように多くの力に支えられているからであります。自分一人の力で生きれるものではありません。また、自分一人が他とのかかわりあいなしに存在できるものでもありません。
「空」とは、「無常と無我」をその内容としています。「無常」は、移り変ることで、咲いた花が散るという自然の現象そのこと自体が「無常」であります。同時につぼみが日増しにふくらんで美しく開花するのもまた「無常」なのであります。ゆえに空の思想は、積極的に創造するはたらきを示唆しているものであります。
「無我」を平たくいうと「おかげ」であります。したがって、「無我」がわかるということは、「おかげさま」の道理が身についたということになります。「おかげ」がわかるということは、"自分が"という自我を超えることであります。自我が抜け、「おかげ」がわかることが、信心の最上の喜びであります。
このように、わが身を「無常と無我」を内容とする、空なるものであると自覚した時、心静かに坐禅ができるのであります。